草葉の陰からジャンプアップ

街で目にしたものやななめ読みしたニュースから刺激された感情を迸るままに書き連ねたりしなくもない

「子供を預かる」ことの重さと軽さ

 

ベビーシッターの事件が世を騒がせている。

そしてその問題がいろんなところに飛び火している。

容疑者が責め立てられるのはまあ普通のこととして、預けた母親のほうにも

「見ず知らずの人に簡単に預けるなんて信じられない」

といった声が出るわけだ。

 

わからなくもない。そもそも自分としてはそんなシッター制度が

あることも知らなかった。

 

で、芸能人がコメントすると、賛否両論だという。

「私は簡単に預けない」「面談して一緒に過ごしてみて信頼できるかどうかを

見てからでないと」という内容。一見すると、どこにもおかしなところはない。

なんでこれに「否」があるのか?…と言いつつ、否定コメントを見るまでもなく

わかることがある。「持てる者の正論」だからだ。

 

「それはお金に余裕がある人の話」

「あまり預けたくなくても預けざるをえない人もいる」

「親にも頼れない状態でどうしろというのか」

…といったところの反論が予想される。否定コメントまったく見てないけど、

たぶんあまり外れてないだろう。ただこういう話になっていくと、結局

社会の構造問題だとか貧富の差がどうとか、もともとの事件と離れていく。

 

うちの妻は、自分の親に預ける時でさえ、「何か事故がおこる可能性が

ある、という覚悟をする」という。たしかにそうだ。それが子供なのだから。

ちゃんと気を付けて見ていたはずでも手が離れた瞬間に事故にあったり、

ほかのことに気を取られた隙に転倒や墜落なんてこともあるだろう。

親がついているときでさえそのリスクはあるんだし、祖父母なら

そのリスクが低くなるわけではない。むしろ咄嗟の反応速度などでは

より危険だともいえるだろう。

 

だからベビーシッターに預ける人はリスクが凄く高いことを認識する必要はある。

認識したうえで、預けないときの困ったことと天秤にかけるしかない。

「預けるのは怖いけど仕方ない」のか「預けるのは怖いから我慢する」のか。

経済的事情などの背景はともかくとして「他人に幼いわが子を預ける」という

事実は変わらないのだから。そこを軽く感じている人がいるのも確かだと思うが、

そういう人こそ何かあったときに大騒ぎするのではないか。

 

 

どうでもいいけど今回預けた方が叩かれがちなのは、子供の名前が読みにくい

というところから「どうせDQNだろ」といった先入観があるからではなかろか。

働くために預けたという話も見たが、毎回そのためだったのかもわからないし。

情報が少ないと人は勝手に想像で埋めてしまう。自分も含めて。

 

一番わからないのは「偽名を使ったシッターに代わって子供を引き取りに来た

男性」はどういう奴なんだ、ということだけど。