草葉の陰からジャンプアップ

街で目にしたものやななめ読みしたニュースから刺激された感情を迸るままに書き連ねたりしなくもない

「やってみた」が「やっちゃった」になるとき

インターネットは容易く発信ができる。

ホームページから始まり書き込みやブログやSNSでそれは

どんどん顕著になった。

 

その例の一つとしては、「歌ってみた」「踊ってみた」「やってみた」があるだろう。

まあ、いわゆる素人芸ではある。ではあるが、ハイレベルなものもたしかにあり、

「歌ってみた」で人気の人は「歌い手」と呼ばれて専用のムックまで出たりして

いる模様。これにはびっくりした。

 

そう、昔から名前が知れてなくてもすごい人というのは確かにいたのだ。

そして、それらの人は名前を伝える手段を手に入れた。結果、プロとアマの

境目がある意味ではなくなった。チャンスが増えたとも言えるし、発展途上の

人がそういった映像を見て「素人でもこんなに上手いんじゃ自分は無理」と

あきらめることも増えただろう。

 

その一方で「なんでこれをアップロードしてんだよ」と思うようなものもある。

というかそういう人の方が多いのかもしれない。「歌ってみた」では本当に

歌ってみただけだなこれは、というのが意外と多い。

 

こういうのをアップするときの思いというのはなんなのだろう?

 

1.自分としては上手いと思っているので人に見せたい

2.上手いとまでは思ってないが反応があるとうれしい

3.ののしられるとゾクゾクする

 

なんのかんの言って1番の人が多いのかな。

「下手ですがすいません!」とコメントつけながら動画を

多数アップしまくる人もよく見るし。

そういう人は単純に謙遜の場合もあるが「ほんとだな」としか

言いようがない人もけっこういるので。

 

2番はともかくとして、3番みたいな人はどうにもならんが。